自己紹介
自己紹介
こんにちは、鳩屋敷です。自前のブログというものを立てたので、一番最初に書くものと言えばやはり自己紹介かなと思い、筆を執りました。
せっかくなので、私の構成要素を大きく占める趣味である
- ニコニコ動画
- プログラミング
- 音楽・作曲
に関して、時系列に沿って自分語りしていきたいと思います。
有益な情報を期待していた方がもしいたらすみません。ヤマもオチもなく、ただ自分語りするだけのブログです。
小学生時代
ニコニコ動画との出会い
小学生時代は、親の PC やお下がりのスマホを使ってニコニコ動画を見ていました。どっぷり浸かっていたわけではないですが、私の一番最初のニコニコのバージョンは (原宿) みたいです。

中学も差し掛かってた気はしますが、当時ニコニコ動画ではゲーム実況、音 MAD をメインに見てました。
ゲーム実況ではつわはすのロックマンエグゼ、レオモンの金コイ、倭寇のサイコロポケモンとか見てました。
音 MAD では、on_and_on やココロオドルなどを、タグ検索で回遊して見漁ってたりしてた時期もありました。
ゲームは作るもの
そして、私の人生の転換点の動画が、MIDORIKAWA さんの絶対にバグらないRPG制作勉強会シリーズです。

小学生の私は家に転がっていたキャンパスノートに、こんなゲームを遊びたい、こんなゲームを生み出したいと落書きを残していました。
名前は 「逃げろ!黒ボウ」 というゲームで、何から逃げるのかわかりませんが、黒い棒人間がゴールまで走るというゲームでした。
とは言えゲームの設計図というよりかは、それっぽいイメージ図だけで、ゲームを作るという発想すら当時の私にはありませんでした。
そんなときにこの動画に出会い、 「ゲームは作れるんだ!」 ということを知りました。
プログラミング自体ナニモノなのかわかっていませんでしたが、ここから明確に、ゲームは妄想するものから作ろうと思えば作れるものと認識が変わりました。
ニコニコ動画が私をエンジニアにしたと言っても過言ではありません。
もう一つ、私をエンジニアに押し進めた大きな要素としてあるのが、メイドイン俺です。

プログラミングほど仰々しいものはないのですが、条件によってこう動くといったアルゴリズムを組み合わせてゲームを作る「くみたて」という機能がありました。
今振り返ってみると、初プログラミングはここだったかもしれません。
音楽への興味
また、音楽に興味を持っていた私は、幼稚園から小学校までの音楽の教科書をかき集め、楽譜を起こして楽しんでいました。
親のもう使わないガラケーに入っていた着メロを作るアプリや、上で紹介したメイドイン俺で打ち込んでいました。
歌を歌うのが好きだった私は、音楽のメロディを追いかけるのが好きでした。しかし、メロディだけでも音楽のはずなのになぜ音が重なって音楽が作られているのか、うっすらと疑問に思っていました。
ここもまた、音楽理論への関心の始まりだったと思います。
中学生時代
あいも変わらずニコニコ動画
中学生時代は 3DS や PSVita でニコニコ動画を見ていました。すれ違いマーケット(スレマ)なんかもなんだかんだやっていました。

今振り返ると痛くてしょうがないのですが、ゲーム実況者にあこがれていた私は、どのタイトルを実況するか、どんな縛りでゲーム実況するか、どんな挨拶から入るのか、活動名は、アイコンは、なんて妄想を広げていました。
撮影機器もないのに、ゲームをしながらブツブツ実況して、親に聞かれて不審がられるなんてこともありました。ヒャーーー!!!(身悶え)
プログラミングと出会う
中学生時代の一番のビッグイベントといえば、やはりプチコン3号との出会いです。

当時私は PC を持っていなかったのですが、ゲーム機大戦 などの動画でゲーム機でプログラミングができていた事実を知っていたので、3DS でもできるのでは?という考えに至りました。
その読みは大きく当たりました。それがプチコン 3 号。大昔のプログラミングができるゲーム機と同じ、BASIC を用いたプログラミングが可能なソフトでした。(そもそも大昔のゲーム機で BASIC でプログラミングをしていた人がターゲットなので当然と言えば当然)
お小遣いを切り崩し、コンビニに自転車を飛ばして、ニンテンドーのプリペイドカードを買いに走ったのを今でも思い出せます。
小学生時代に出会っていた、絶対にバグらないRPG制作勉強会シリーズを参考に、SMILE BASIC の文法ではどう書くのかドキュメントを照らし合わせて、同じようなゲームを作っていました。
RPG 制作勉強会のゲーム、小学生の頃にキャンパスノートに書いていた「逃げろ!黒ボウ」、当時大好きだったロックマンエグゼの再現ゲームなんかを作っています。全て未完成ですが。
そして、作ったプログラムを録画して YouTube に上げていました。わざわざ見るほどのクオリティではないですが、プレイリストがあるので気が向いたら見てみてください。
3DS で DTM
小学生時代はガラケーの着メロ作成アプリ、メイドイン俺で打ち込んでいましたが、中学生時代は大合奏!バンドブラザーズPで打ち込みしてました。
動画サイトで楽譜が映っている動画を見つけたら打ち込んでみる、なんて遊びを良くしてました。

自分の声からボカロが作れると聞いて、簡単に UTAU が作れるのか!と思った私はダッシュで買いに行きました。
しかし、ボカロの声質は既に用意されており、声質が似ているものをあなたのボカロですと出されるだけの機能でした。ガッカリ。
耳コピもやろうと頑張っていましたが、伴奏の音が取れずなかなかうまくいきませんでした。聞こえてる音を鳴らせば耳コピできるだろ!と思い意気込んでましたが、どう頑張っても和音が聞き取れず難航していた記憶があります。
高校生時代
ビバ!うp主デビュー
高校生時代、ついに私は PC を手に入れます!RAM が 4GB の PC で、今考えるとなんでこんな PC で動画投稿できていたんだと不思議でしたが、念願の動画投稿をしました。
…そうです。黒歴史のゲーム実況動画を投稿してしまったのです。
これは後生の頼みですが、絶対に見つけても「これって鳩屋敷?」って言わないでください。
また、音 MAD もこの頃から作っていました。前身のうp主の動画制作は、今の鳩屋敷の動画制作にそのまま引き継がれている部分もあるのです。
あれ?プログラミング難しくね?
PC を手に入れた私は動画制作の他に、プログラミングもはじめました。
ひとまず絶対にバグらないRPG制作勉強会シリーズで登場していた、HSP スクリプトをインストールし、動画と同じようなコードを書いてキャッキャと盛り上がっていました。

そして小学生時代にキャンパスノートに書いていた「逃げろ!黒ボウ」を今度こそ完成させるぞと意気込み、作り始めました。
ここで、当たり判定のあるアクションゲームを作る難しさに出会います。
左右移動、ジャンプ程度はある程度作れていました。しかし、穴を作る、空中にブロックを置くとなると途端に難易度が上がります。
Y 座標を見て接地判定をするのではなく、プレイヤーの一番下の Y 座標がブロックの一番上の Y 座標より下になったら同じ Y 座標として静止させるというような判定が必要になります。
では X 座標がぶつかったときはどうでしょう?斜めからブロックにぶつかったときは?そんなこんなで未完成のまま挫折してしまいました。
作りかけの映像を Google Drive から見つけたので共有しておきます。こちらも見栄えのするようなものではないので興味があればどうぞ。
逃げろ!黒ボウ 制作過程
HSP の他に、私は 2 冊の本と出会い、プログラミング言語と出会いました。それが「C++の絵本」「やさしい Java」でした。

「C++の絵本」は、私がプログラミングに関心があると話をしていた友人から、誕生日プレゼントとしていただきました。
何一つ書いてあることを理解できないまま、C++は挫折しました。
今振り返ると、この本の対象って誰なんだろう…子供向けでもC++に慣れていない成人プログラマでも無い気がする…

「やさしい Java」は、BOOK OFF で買った中古の本でした。プログラミング熱の高かった私はお小遣いを切り崩し買ったのですが、買って満足してしまい、この本から学んだことはほとんどありませんでした。
ただ C++とは違い、Java の勉強そのものはこの本を買ってから始めていました。
T.Umezawa さんの【Java】ゲームプログラミング超入門シリーズ を見て写しながら、プログラミングの基本を学んでいました。
Java は他のメジャーな言語と記法が似ており、Java から入ったのはその後の自分のプログラミング学習速度を上げる良い鍛錬だったなと、振り返ると感じます。
しかし、クラスなど、Java ならではの機能は殆ど理解できないまま高校時代の Java の勉強は終わりました。
実際に PC でプログラミングをする経験はたくさん積んだものの、まだ作りたいものを作れるほどプログラミングの力はついていませんでした。
音楽理論の師匠との出会い
高校生時代の音楽関連の話題といえば、師匠との出会いが大きいと思います。
音楽的な漠然とした疑問を持っていた私と出会ったその師匠たる友人は、小さい頃からピアノを独学で弾いており、クラシックを嗜み、何曲も作曲していた音楽超人でした。
部活は別々だったのですが、テスト期間など部活のない時期にその友人含めた数人でファミレスに行ったり、高校の目の前のコンビニで駄弁ったりしていて、その時期に音楽の基礎を雑談混じりに学んでいました。
メジャー・スケールは全全半全全全半だとか、和音はスケールの音を一つ飛ばしに 3 つ鳴らすとできるだとか、私のスマホに入っていたピアノアプリで鳴らしながらワイキャイしていました。
大学生時代
うp主としての転生
VTuber が活動休止し、中の人が別の名義で VTuber 活動することを 転生 と呼び始めて、長い期間経ちますが、その時期よりもっと前に私は転生していました。
プログラミングにドハマリして時間が取れなかったのもあり、黒歴史のゲーム実況の名義とは別れを告げ、新名義で心機一転、動画投稿活動を始めました。
「鳩屋敷」という名義は元々高校生時代に個人用 Twitter 垢で使っており、大学入学後はプログラミングの文脈での活動名の予定だったので、始めは「PiKoRa」という名前で活動していました。
初投稿動画が邪神ちゃんドロップキックの音 MAD で、推しキャラがそのぺこらだったため、鳩(Pigeon)からもじって「PiKoRa」という名前です。

が、プログラミング関連の動画も出すようになり、シームレスに鳩屋敷に名前を変えました。
プログラマー鳩屋敷 爆誕
上の章でも書いた通り、大学入学後はプログラミングにドハマリしていました。
一番大きな影響を与えたのは、大学のサークルCompositeComputerClub(C3)への入部です。

入部当初は、小学生時代から抱いていたゲームが作りたいという気持ちが強かったです。
最初に部内であった大きいイベントとして、「オープンキャンパス」がありました。OC に向けて部員の作品を展示しましょう、という流れでした。
本来であれば上級生と新入生でチームを組んで作るのですが、大喜利でアイデアを集め、Discord のリアクションで投票した結果、私のアイデアが私含めた一年生 3 人で作る事となりました。
なぜか自信のあった私は、手探りながらも「行ける!」という強い意志で制作していきました。
3 ヶ月後、出来上がったのがMagic Adventureというゲームです。
UnityRoom に投稿しているので、今でも(サ終するまでは)そこで遊べるはずです。

小学生時代に「逃げろ!黒ボウ」というゲームをキャンパスノートに描いて妄想し、高校生時代に物理演算で挫折していた横スクロールアクションゲームは、ここでついに初めて、形となったのです。
完成後テンションが上がったまま書き上げた設定資料集も見つけたので、ここで共有しておきます。
※プレイ後の閲覧を推奨します。
OC が終わった後もゲーム制作をしていたのですが、この頃から段々と、「ゲームを作るためのプログラミング」から「プログラミング」そのものへの関心が高まっていきました。
部内で運営されていた SNS「Mastodon」では、API を使用した Bot が動いていました。小学生時代からロックマンエグゼが好きだった私は、Mastodon API や Python の学習を兼ねて、既存の Bot をパクりつつロックマンエグゼBotを作成しました。

1 年の冬には、先輩に誘われてハッカソンに参加しました。ここでデータベース、フロントエンド・バックエンド、WebAPI などの技術に触れ、FastAPI でできたバックエンドのエンドポイントを作ったりしていました。
初めてのハッカソンで作ったのが、Initial_is_Goo というオンラインでできるじゃんけん Web アプリでした。
詳細は私のホームページにも書いているので、右上のリンクから飛んで読んでみてください。
その後もハッカソンに参加したり、開発系のアルバイトで働いたりと経験を積んでいるうちに、気づけば自分がこういうアプリがほしいと思ったら形にできる程度には力を手に入れていました。
大学 2 年以降の自語りもしたいところなのですが、大学時代のプログラミングの話だけで 1 つブログが書けてしまうので、今回はどう成長していったかは省略したいと思います。
うp主として動画投稿をしており、かつ Web アプリを作るのが好きだった私は、動画編集も HTML や CSS のような言語でできたら良いのにと考えていました。
4 年の夏、卒業研究のテーマ締切に差し掛かった頃だったので、卒研で忙しくて作る暇もなさそうだと思っていたのですが、これを卒研にしてしまえばテーマも決まり、作りたいものも作れると閃きました。
そして作り上げたのが、Video Structure Markup Language(VSML)です。

小学生の自由工作みたいに「作りたかったので作りました」では卒業できないので、研究らしくするのは大変でしたが、開発している間はずっと楽しかったです。
はじめての作曲
C3 にはゲーム制作以外の分野もあると言う話を上で話しましたが、その中に音楽の分野で制作をしている人たちもいました。1 年の夏頃、各分野のチュートリアルをやろうみたいな会があり、そこで初めて作曲の仕方を学びました。
音楽にはメロディ、リズム、コードの三要素があり、それらを打ち込めば音楽ができるとのことでした。そうです、今まで私が音楽と思っていたものはメロディだけであり、耳コピがうまく行かなかったのはコードの知識が足りていなかったのです。
目からウロコが落ちた私は好奇心のまま、Youtube で「コード進行メドレー」や「コード解説」のようなジャンルの動画を見漁り、作曲をするという、インプットとアウトプットを繰り返していました。
特に上質だったインプットは、高校時代に出会った師匠です。当時はコロナ禍で Zoom 飲み会がブームということもあり、友人数人と Zoom→LINE 通話→Discord と遷移しつつ、交友を維持してきました。(ちなみに未だに週一で通話しています)
集まりが悪い時や集まる日じゃない日などに通話を繋ぎ、彼から基礎から応用まで教わりました。
アウトプットの方では、大学時代サークルのみんなで通い詰めていた町中華「吉利」の非公式ソングや、完全オリジナルのポップスソング「Go With Me」なんかを作っていました。
それぞれ ToyBox(上述のリンク)やSoundCloudに投稿済みですので、よければ聞いてみてください。

四年かけてゆっくりとインプットしてきたものが、現在のコード理論オタクの私を作り上げたのです。
社会人時代
現在は Web エンジニアとして働きつつ、音楽にまつわる話を動画や Web サイトとしてアウトプットすると言う日々を送っています。
大学時代に比べれば低頻度になりましたが、動画投稿も続けています。(ニコ動のユーザページ)

プログラミングは仕事でも趣味でもほぼ毎日続けています。

VSML も、Qiita で宣伝し、ニコニコ動画で宣伝し、研究室の先輩に手伝ってもらいながら Discord 鯖を立て、数人の協力者とともに、牛歩ながら開発を続けています。

そしてコード理論も、様々な方法でアウトプットし続けています。(Webピアノ、分析動画)


予定で言えば、私のコード理論を勉強できるサイトも作りたいなぁと考えています。
さいごに
エンジニアとして働きつつ、音楽理論に関心があり、動画投稿を続けているのが今の私です。そしてこれら過去の私が、今の私へと導いてくれました。
まだ私の人生はこれからも続きます。どう転んでいくかはわかりません。
ただ、これまでのように、人生を大きく変える出会いを大切にしながら、プログラムや動画や音楽でものづくりをしていきたいと思います。
P.S. この記事を書きながら自分の人生を改めて追体験したような気持ちになり、楽しかったです。